前々から薄々感じてきたことなのだが、コンピュータというものは車に置き換えると合点のいくことが多い。
スピードメーターが180km/hまであるからといって、本当に180kmを出せば大変なことになる。
同様に、HDDが4TBあるからといって4TBパンパンに使い切ってよいのかどうかは、よくよく考える必要がある。
車に何かパーツを追加するとき、それは本当に自分の車に合うのかどうかを考えて買うものである。
極論、それがドリンクホルダーのようなものであっても。
コンピュータに何かパーツを追加するときもそう。
本当に自分のコンピュータに合うのかどうかを、よくよく考えるべきである。
さらに、車を乗り換えるとしよう。
カーナビやオーディオその他のアクセサリを、新しい車に積みなおすことでコスト削減できるのであればしたいだろう。
しかし、形状や規格が合わないものがあって残念ながら使えないこともあろう。
買いなおす必要に迫られることもあろう。
コンピュータもインストールされていたソフトや周辺機器をそのまま新しいコンピュータにインストールすることができることが望ましいだろう。
しかし、ここも車と同じ事情に見舞われる。
しかしどうして、車では理解されることがコンピュータでは理解してもらえないのか。
当たり前のように筋の通っている話が、クレームにさえつながる。
彼等はエンジニアを指差して言う
「あの連中は自分が専門家だと思って自己陶酔しているのだ」
「難しいことを言って消費者から不当に金をむしり取ろうとするのだ」
「タイヤが回って走る」という単純な原理で走る車に比べ、エンドユーザが想像できたり自分で面倒を見れる部分は確かに少ない。
ゆえにエンドユーザはコンピュータに対して「魔法」に対するそれと似た「幻想」を抱いてしまいがちである。
魔法など、どこにもないというのに。
2013年11月08日 12時54分|社会人のための情報リテラシー|コメント(0)