他人のパソコンを修理していると、どうしてもディスクの中身を見てしまうものである。
それは別段、
「プライバシーを覗いてやろう」
とかそういうことではない。
ただ単に、目に入ってくる、ということである。
その中で、ふと、ここ数年感じていた違和感の正体めいたものを感じたので記述する。
近年、どうもポピュラー音楽が好きになれない理由である。
ニューミュージックとか、J-POPなどと呼ばれるジャンルである。
「感覚が年老いた」、
「お金がない」、
明らかな理由はいくつかあるが本当にいい音楽にはお金を出すものである。
それが、どうもない。
その理由について、以前からたにぐちさんは
「歌詞が前向きすぎて気持ち悪い」
と、結論づけていた。
しかし一方で、どうもそれだけじゃない、とも思っていた。
それが、壊れたHDDからデータを救出する際、めまぐるしく流れる最新曲のタイトルが数百数千と目に入ってくる中、1つの言葉が心に浮かんだ。
たにぐち「チャラい…」
つい口をついて出てしまいそうなフレーズをタイトルにした曲が多いように思える。
流行語というよりは、「流布語」とでも言おうか。
創作作品というものは、その時代の世相を反映するものである。
どんな未来を舞台にしたSF作品でも、作られた時代が古ければ電話の形は変わっていないものである。
音楽もまた「共感を呼んでなんぼ」の世界であるので、世相を反映して当然であり「流布語」が多用されるのも当然である。
その考え方は、はるか昔から変わらないはずなのに、なぜ今イラだちを感じるのか。
と、90年代に買いあさった楽曲のタイトルを見てみた。
するとどうだ。
それらのほとんどは、恐らくは作り手の経験や独創から導き出されたであろう独自の言葉から構成されていた。
「楽曲から流行が発生する」というよりは
「流布語から楽曲が自己発生している」ような、時系列の逆行を感じている。
それこそ、ただシンプルに表現すれば
「歳を食って、世の中を俯瞰するようになった」
ということなんだろうか。
どうも少し違うような気がするのである。
2013年11月20日 16時32分|ブログ|コメント(0)