今年度のどこかのタイミングで、どこの病院だったかも忘れたが、通路の壁に貼ってあるポスターで
「救急車をタクシー代わりにしないで」
的メッセージを目にしたと思う。
むろん、今となっては陳腐とも言われかねない使い古されたメッセージである。
しかし、この年始に母が入院した際にこのメッセージについていささか考えさせられてしまった。
救急車を呼びたいという気持ちと、このメッセージが胸につっかえてまごまごしている気持ち。
これらが拮抗する時間の積み重ねの末に家族を死なせたとなれば、こちらの頭がどうにかなってしまいそうである。
このメッセージを強く発信したいのであれば、逆に救急車を呼んでいいと言えるきわめて簡素な基準が必要なはずである。
それはまさに、素人がいくつものチェック項目に答えるようなものであってはならない。
そんなことをしている間に患者が死ぬかもしれないのである。
Q助という判断アプリがある。
アプリをちんたら触っている間に家族が死んでしまったとしたら、その光景がいかに滑稽であるかをアプリ開発者は想像したのだろうか。
「目の前で膝をついてロクに会話もできない」
判断基準など、この程度でいいのではないだろうか。
2019年03月21日 22時13分|ブログ|コメント(0)